これからの研究所活動方針: 問いを起点に、社会と共鳴する知を育む場へ
こんにちは、まつもとりーです。この記事は今後のさくらインターネット研究所の中期(2年程度)での活動方針について、研究所内でまとめたものです。外向けに対してもしっかりと宣言していくという意味で、そのままブログでも公開しようと思います。どうぞよろしくお願いします!
アブストラクト
本戦略方針案は、さくらインターネット研究所が2025年度以降中期(2年)にかけて重視すべき組織的な方針および研究開発とプロダクト開発の方向性を、組織運営や意思決定の背景にある価値観や行動原理にも目を向けながら明確化したものである。全体を通して、個人の内発的な問いを起点としながら、組織的な接続性と社会的な意義をどのように構築・維持するかに焦点を当てている。各章では、チームの在り方の変化、ナレッジ会の進化、プロダクト開発と研究の関係性、成果の接続、社外発信、文化の持続といったテーマを通じて、研究所は社会や会社と共鳴する知と価値を創出する。その実践を重ねることで、さくらインターネット、ひいては社会にとって必要不可欠な存在であり続けるための基盤を築く。
1. 成果の意味づけとチームの在り方の変化:問いの接続を軸に
さくらインターネット研究所の強みの一つは、研究者が自ら課題を見出し、各自の関心や得意分野に応じてテーマを選択し、手法や進め方についても自律的に判断しながら取り組むことができる自律的な文化にある。このような自由な研究スタイルは、多様で独創的な成果を生む基盤となってきた。一方で、その自由さゆえに、個々の成果がチーム、研究所全体、そして会社や社会とどのようにつながっているのか、その「意味づけ」が曖昧になりやすいという側面もある。
2025年度以降においては、各チームやグループが「どのような問いに取り組むのか」「その問いが会社や社会とどう関係しているのか」といった視点を明確にし、個人の研究活動が組織全体とつながっていく構造をより意識的に整えていく。このとき、表面的な目標設定ではなく、研究の初期段階から「なぜこのテーマを扱うのか」「この研究がどのような価値につながる可能性があるのか」といった根本的な目的意識を問い直し続けることを重視する。
そのためには、メンバー間での対話が不可欠である。「自分は今何に興味を持っているのか」「その問いは誰にとって重要なのか」といった主観と他者の視点を行き来することで、研究は単なる個人の探究ではなく、組織的な知として立ち上がっていく。こうしたつながりを意識的に育てることによって、研究所全体が有機的な知のネットワークとして機能することを目指す。
2. 意味の空白と向き合う場の再設計:情報共有からの進化
研究という営みは、つねに明確な成果や進展が得られるものではなく、ときには自分の関心がどこにあるのか見えにくくなる時期もある。そのような「意味の空白」とも呼べる状態に向き合うためには、それを個人の問題として内在化させるのではなく、チームや組織の中で言葉にし、共有できる場が必要である。
例えば、これまで研究所では、毎週のナレッジ会という形で、各自が興味を持った技術や話題を気軽に共有する機会を設けてきた。2025年度以降は、このナレッジ会の次のステップとして、情報の共有を中心とした場から一歩進め、個々の関心や違和感を言語化し、それを次の探究や問いに結びつけていくための出発点として再設計、あるいは、それが可能な場を新たに作っていく。そして、必要に応じてそこから新たなチームを創設する仕組みを用意しておく。ナレッジフォローアップ会のようなイメージである。
メンバーが語ったことがそのまま新しい読書会や小さな試行へとつながっていくような構造を意識的につくる。語ることが目的ではなく、語ったことで次の問いが生まれたり、他のメンバーの関心と交差したりする場となることが望ましい。このような仕組みを制度化するだけではなく、日々の実践の中で自然と文化として根づかせることも重要である。
また、「退屈」「進まない」といったネガティブに見える感情や停滞の兆しも、実は新しい問いが生まれる直前の重要なサインである。ナレッジ会でそうした感情を拾い上げ、次に再構成する場として新たな場を作っていくことで、内発的な関心の循環を維持しやすくなる。研究が持続可能であるためには、こうした揺らぎを受け止め、再び動き出すための構造が必要である。
3. プロダクト開発グループの役割:社会と共鳴する価値を創出する
プロダクト開発グループは、研究所で生まれた技術的な知見やアイデアを、社会にとって有用な形で具体化し、それを持続可能なプロダクトとして提供することを目指している。この活動は、メンバーの内発的な関心に基づいた創造的な出発点を大切にしながら、それを社会と共有する中で実際の課題に応じた形に再構成していくという点に特徴がある。
このグループでは、近年のプロダクトマネジメントの考え方を取り入れ、技術的なアイデアとユーザーが抱える課題の両方を往復しながら、意味のある機能や体験の設計を重視している。つまり、何を作りたいかだけではなく、それが誰とどのように作られ、どのように使われ続けるべきかという視点を常に持ち続けることが求められている。
新しいアイデアが生まれた場合、それを個人の思いつきにとどめず、チーム内で議論と合意を経て、正式なプロダクト開発チームとして立ち上げる仕組みが整備されている。その際、必要に応じて人員や役割を柔軟に再編成することで、開発のプロセスを継続的に見直しながら推進する体制が用意されている。また、進行中のプロダクトについても、それを完成形と捉えるのではなく、継続的な仮説検証と利用者との対話を通じて、内容や方向性を問い直し続ける姿勢が求められている。
このように、プロダクト開発グループは、個人の創造性と社会的なニーズとをつなぎ、研究所の知見を継続的に社会実装へと展開する場として重要な役割を担っている。
4. 研究開発グループの役割:共鳴する多様な知を育み、未来を形づくる
研究開発グループは、「インターネットに関するさまざまな事象を研究する」という基本姿勢のもと、各メンバーが自らの関心に根ざした問いを立て、その問いに対して長期的な視点から粘り強く取り組んでいる。このグループでは、社会のニーズに即座に応えることよりも、数年後に必要とされる可能性のある概念や技術の芽を育てることに重きを置いている。
研究活動においては、「なぜこの研究に取り組むのか」「この問いはどこにつながっていくのか」といった根本的な動機や目的を明確にし、それを研究の進行にあわせて問い直しながら探究を進めていくことが強く求められる。それによって、社内外から共鳴する多様な知を育み、未来を形作っていく。テーマの設定は、外部から一方的に与えられたものではなく、各自の内発的な関心から出発している点が特徴である。
研究領域は幅広く、コンピューティング・ネットワーク分野では、クラウドコンピューティング、エッジ・フォグ環境、AIインフラ、量子暗号通信、高性能計算(HPC)など、社会の情報基盤を支える技術に関する研究を進めている。また、WebAssemblyやメール基盤の見直し、SRE(Site Reliability Engineering)に関する知見の体系化など、応用的かつ実用性を重視した取り組みも行っている。
データ・機械学習・人工知能の分野では、スマートシティを支えるデータ基盤の設計、ラボ・インフォマティクス、AIによる科学的発見の支援(AI for Science)、マテリアルズ・インフォマティクス、AI創薬、そしてAIOpsを通じた運用最適化など、多様な社会課題にアプローチする研究が展開されている。
さらに、教育・社会・組織に関わる研究として、デジタル社会に対応した教育理論の検討、地理的に分散した研究組織の運営手法、インターネットの歴史を記録・継承する取り組みなど、技術と人との関係性に深く関わるテーマも扱っている。
このように、研究開発グループでは、個々の研究が独立している一方で、互いの問いや成果が緩やかに接続され、組織としての厚みと知的多様性を生み出し、結果として共鳴する知となっていく。この構造が、研究所における「多様性と一貫性の共存」を支える土台となっている。
5. プロダクト開発との接続:技術の翻訳と共創の場の構築
研究所における成果をプロダクト開発に接続するためには、研究成果を単なる一方向的なアウトプットと捉えるのではなく、社内での活用が可能な知識資産として丁寧に翻訳し、共有する視点が求められる。この接続を促進するにあたり、各研究チームは、自分たちの問いや目的、提供し得る価値を文書化し、開発部門との間に共通の理解を生み出し、共鳴へと繋げる工夫が必要である。
また、研究員が一時的にプロダクト開発チームに参画する形で、知識や技術の移転を促す制度の整備も有効である。研究所が一方的に価値を届けるのではなく、実際の開発現場とのやりとりを通じて相互理解を深め、社会実装に耐えうる技術へと洗練していく過程が重視される。
こうした流れを成立させるためには、研究所の日常的な情報発信が重要な役割を果たす。ナレッジ会や研究メモ、ブログなどを通じて、研究所が「今どんなことを面白がっているか」が見える状態を保ち、開発者が自然に興味を持ち、共鳴し、相談を持ちかけて共に行動したくなるような関係性を築くことが望まれる。
最終的には、研究と開発の接続は制度や手続きによって保証されるものではなく、相互の信頼と対話の積み重ねによって成立するものである。その基盤を日常の中に築いていくことが、持続可能な技術移転と共創の鍵である。
6. 社外認知とアウトリーチ:発信を通じた対話の構築
研究成果を社外に発信する行為は、単に成果を知らせることにとどまらず、研究所がどのような問題意識を持ち、どのような問いを社会に投げかけているかを示す重要な手段である。発信とは、研究所が社会とどのような関係を築こうとしているかを表す姿勢そのものである。
2025年度以降においては、論文や学会発表といった従来型の発信に加え、技術ブログ、SNS、オープンソース活動などを活用し、より広い層との接点を意識した情報発信を推進する。ここで重要なのは、成果の「完成形」だけではなく、試行錯誤の途中経過や、問い直しのプロセスそのものを共有することである。それによって、研究所の活動が社会から見て「完成されたもの」ではなく「一緒に育てていくもの」として捉えられるようになる。
外部とのコラボレーションにおいても、「研究所のテーマに共感してもらう」ことを目指すのではなく、「研究所が立てている問いに共鳴してもらう」ことを重視する。これは、固定された技術や成果ではなく、思考の過程を共有し、共に行動したうなるように促すための姿勢に基づいている。
ナレッジ会や読書会の一部を社外に開き、対話的なイベントとして展開することも一案である。実際に2024年には、研究所テックトークという社外向けイベントを初開催し、さくらインターネットの技術系イベントの中でも特に高い関心と参加を集める結果となった。このような発信の機会は、研究所が投げかける問いを共有し、社外の多様な関係者とともに考える場として、今後も継続的に実施していく予定である。そうした場を通じて、研究所の思考や関心が社外にも開かれ、そこから生まれる新たな問いや連携の機会が拡張されていくことが期待される。
7. ビジョンと文化の持続:変化に強い知的な基盤の育成
研究所の活動を支えるのは、明文化された制度や計画だけではない。日常的に共有されている価値観や態度、すなわち「文化」である。特に、問いを立てることそのものを大切にし、それを他者と共有し、見直し続ける姿勢が文化の核にある。
2025年度以降においては、すぐに活用できる短期的な技術から、数年以内の展開を想定した中期的テーマ、そして将来的な社会の変化に備えた長期的な研究までを同時に扱うテーマ群を再評価し、それぞれの時間軸に応じたテーマ選定と支援体制を明確にする必要がある。とりわけ、すぐには成果に結びつかないが、将来的に重要となる可能性を秘めたテーマについては、遠い未来を見据えた大胆かつ長期的な視野で継続的に支援していくことが求められる。
また、研究者が経営や戦略構想に関与する機会を増やし、専門的な知見が事業方針や組織設計にも反映されるような構造を育てていくべきである。そのための基盤として、定期的なナレッジ会、対話型レビュー、部門を超えた部門横断で立場を離れて対話する場のような活動が効果的である。
制度や計画は必要ではあるが、それに従うだけでは複雑な変化には対応できない。変化に柔軟に適応し続けられるような知的な土壌を育てることこそが、文化としての研究所の持続性を支える鍵である。
8. まとめ:成果を育む場としての研究所の位置づけ
さくらインターネット研究所は、研究開発とプロダクト開発という二つの軸を持ち、それぞれが異なる時間軸や役割を担いながらも、互いに補い合い、接続される構造の中にある。その関係性は、単に成果を「出す」場所というより、成果が「育っていく」場としての意味を持っている。
研究所にとって最も大切なのは、個々の問いや関心が孤立せず、組織や社会との間に緩やかな接続を持ち続けることである。そのためには、成果を一過性のものとせず、問いを起点とした持続可能な営みに変えていく構造と文化を、意識的に育てていく必要がある。
2025年度以降中期にかけて、そのための環境整備と文化の深化に向けて、日々の実践を積み重ねていく年となるだろう。研究所全体として、より柔軟で強靭な知的共同体を目指し、一つ一つの問いと誠実に向き合い続けることが求められている。
参考情報
研究所の組織体制をアップデートする。現在、研究開発グループとプロダクト開発グループが存在し、各グループ内にチームを追加していく体制を構築する。2025年度には、新たにメッセージング基盤チームとリサーチデータ基盤チームを設立し、各チームにリーダーを配置して運営を行う。研究開発グループについては、現時点での新チーム設立は予定していないものの、今後は研究員の増加に合わせてAIチーム、SREチーム、システム・ソフトウェアチームなどを順次設置し、効率的な運営体制を整備していく。
以下、発表資料です。
参考
著者

さくらインターネット研究所 主席研究員、京都大学博士(情報学)、複数社の技術顧問。インターネット基盤技術の研究開発、組織や制度整備、EM、PdM。 Warlanderの公式コミュニティリーダーとしてWarlanderやデルタフォース等のゲーム配信をTwitchで頑張り中。
2008年に現場の技術を知るため修士に行かずにホスティング系企業に就職したのち、2012年に異例の修士飛ばしで京都大学大学院の博士課程に入学。インターネット基盤技術の研究に取り組み、mod_mrubyやngx_mrubyなどのOSSを始めとした多数のOSSへの貢献や学術的成果を修める。
2015年4月より2018年10月までGMOペパボ株式会社にてチーフエンジニアとしてプロダクトのアーキテクトやエンジニア組織のマネージメントに従事すると同時に、ペパボ研究所では主席研究員としてOS・Middleware・HTTPに関する研究、及び、事業で実践できるレベルまで作りこむことを目標に研究に従事。
2018年11月より現職。
第9回日本OSS奨励賞や2014年度情報処理学会山下記念研究賞など、その他受賞多数。2016年に情報処理学会IPSJ-ONEにおいて時流に乗る日本の若手トップ研究者19名に選出される。